国際課税についての専門家を養成するための研究会。関西・東海の税理士を中心に活動

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村井正のプロフィール -国際課税との出会い-

一角塾は、国際課税のプラットフォーマーです。人は、さまざまな出会いによって人格形成されます。村井正も数々の出会いを重ねた末に、国際課税という学問に出会いました。そこで「国際課税との出会い」に至る道程を振り返ってみたいと思います。

 第一は、1957年の京大大学院入学です。シャウプさんの勧告のおかげで当時日本中の法学部で租税法を開講していたのは、京大と東大だけでした。ここで村井は、汐見三郎、須貝修一、清永敬次、田畑茂二郎、杉村敏正と出会い、紆余曲折の末、租税法という学問に深い関心をもつことになります。

 第二は、1963年西ドイツ政府奨学生として、はじめて彼の地を踏み、ハイデルベルグ大学で二年有余過ごし、ドイツ税法の講義を聞きがっかりしました。それほど講義のレベルが低く、無内容であったので、その当時は、租税法を学ぶ気には到底なれず、専ら行政法の最高峰のエルンスト・フォルストホッフに師事していました。ハイデルベルグにはウーレという親日家の行政訴訟の大家が住んでおり、大きな影響をうけました。これは想定外の留学の成果でした。京大は、その間休学し、帰国復学、退学した後、直ちに関西大学専任講師となります。阪大の招聘を二度も断り(ドイツでは、C.Vに必ず書きます)、その代わり阪大の非常勤は定年まで勤めます。それほど関大の居心地がよかったということでしょうか。

 第三は、1978年サーバティカルをとって、こんどはケルン大学に一年間滞在します。ここでは、有名な租税法体系書を著したばかりのクラウス・ティプケの謦咳に接し、租税法の研究を本格的に始めます。ケルン大学は、租税法のほか、相続税法と国際租税法も開講しており、いわゆるケルン学派を形成していました。村井は、ここを拠点にひろくドイツ各地と欧州の租税法学者と交流を始めます。70年代に大蔵大臣の招聘により来日したことのあるドイツの租税専門家たちとの交流がドイツで再び始まります。連邦大蔵省主税局長のカール・コッホ、アダルベルト・ユールナーは、日本での講演通訳が縁で、当時ボンの大使館に出向中の斎藤次郎(大蔵省)ともどもボンの私宅にたびたび招んでくれました。村井の国際租税法研究が本格化したのは、この頃でした。ケルン大学では、後に高名なローファームを創り上げたハラルドシャウムブルグ弁護士の国際租税法講義に参加し、大いに触発されました。当時ミュンヘン大学では、クラウス・フォーゲルが国際租税法のゼミを開いていたので、毎週ケルンからミュンヘンに通いました。フォーゲル・ゼミは、それほど魅力的でした。ここでクラウス・フォーゲルとアルベルト・レードラーに出会います。この二人は村井の終生の親友であり、彼等が亡くなるまで国際租税法を中心に交流は続けられます。後になって欧州の租税法の第一人者であるヴォルフガング・シェーンのできたばかりのマックス・プランク研究所の所長室に連れていってくれたのもレードラーでした。ティプケが租税法学会理事長であった関係でウィーン、リューベック等の学会に参加し、ドイツ語圏の専門家と本格的な交流が始まり、1979年は、リューベックの学会報告をはじめ、ひと月ドイツ各地で講演旅行を経験しました。潤沢な資金を支給してくれた国際交流基金のおかげです。78~79年は、村井の国際租税法研究のエポックを画した重要な時期にあたります。

 第四に村井は1980年代に入ってからEU税法の研究を始めます。欧州委員会の官僚たちと結びつけてくれたのはレードラーとカトリック・ルーバン大学のフランツ・バニステンデールでした。彼等二人は、欧州法人税を共通化するためのルディング委員会のメンバーでした。現在でも欧州委員会との太いパイプがあるのは、この二人のお蔭です。シャウプ勧告を受けて創立された日本租税研究協会が50周年記念事業として、当時導入されたばかりの欧州連合・通貨統合の調査研究を依頼され、1年間の成果をまとめたのが、村井正・岩田一政『EU通貨統合と税制・資本市場への影響』です。岩田は、当時東大教授でしたが、後に日銀副総裁になった金融の専門家です。潤沢な予算を使ってEU官僚たちと意見聴取ができたのも、村井を強く推薦してくれた金子宏とレードラーのネットワークのお蔭です。OECD加盟国の過半数超をEU加盟国が占める現実に照らせば、EUにおける税制の動向は、重要であり、無視できません。それにしても租研記念事業への参画は租研初代会長・汐見三郎との深い学縁を感じざるを得ません。大学院時代毎週京都・神楽岡の汐見邸で行われた研究会は、租研の『租税研究』の輪読が主であり、清永敬次、浅沼潤三郎が一緒でした。JETROのEU税制研究会も勉強になりました。

 第五に1979年ケルンから帰ると、大阪大学(1980)と関西大学(1981)に関西では初めて国際租税法を開講してもらい、村井が担当しました。北川善太郎は、民法学者ですが、比較法研究センターの創設を介して国際租税法の拠点を提供してくれ、若い研究者たちとの共同研究の成果として村井正編『国際租税法の研究』を出版してくれました。北川は、京大が生んだ世界的な法学者でひろく欧米で活躍しましたが、実は租税法に深い関心があり、ドイツ留学の直前まで清永、村井と共に租税法と私法の複合分野の勉強会をやっており、心から村井を応援してくれました。国際租税法の講義は、阪大、関大の後も大阪市大、愛知学院、立命館、大経大等でも担当させていただき現在も大経大で担当しています。阪大ではフルブライト日米交換計画でボストンから派遣されたアインズワースと共同で担当しました「移転価格日米比較法講義」は大変勉強になりました。それに参加した阪大、関大の院生たちも現在活躍しています。

 第六に、村井が勤務していた関西大学は、特に新設の法学研究所を中心に村井の国際課税研究の拠点として数々の研究交流と国際課税シンポジウムの開催を惜しみなく応援してくれました。村井のそうした企画の最大の理解者は、法学部の同僚、特に政治学者の山川雄巳でした。そのお蔭で世界中からここを訪ねてくれた租税法学者は数知れず、『国際租税秩序の構築』等の多数の成果物が刊行されました。思いついただけでもギュンター・ヴェーエ、ヨアヒム・ラング、ペッツアー、シャーリー・ピーターソン、ドーンバーグ、フィリップ・ベーカー、ギュンター・ザス、ラッセル・オスグッド、ジョン・マックナリティー、ムスクヌーク、モーリス・レーナー、アンデルセン、フェルディナント・キルヒホッフ、フロッカーマン等の錚々たる税の専門家の名をあげることができます。

 第七に国際協力事業団(JICA)の投資環境プロジェクトの仕事は、比較法研究センターの理事として10年ほど担当し、世界の途上国税制の実態を知るのに良い勉強になりました。研修生のプレゼンテーションは、ある意味で、貴重なデータの宝庫でした。パプア・ニューギニアの研修生からは、日本企業の木材輸入に絡む赤裸々な移転価格の報告を受けたのもその一例です。

 最後に忘れられない一人が佐藤光夫との出会いです。彼は、大蔵省きっての国際派であり、かつ理論派で、IMFの経験もあり、最後は、アジア開発銀行総裁に上り詰めました。彼が大阪国税局の直税部長のときに出会い、長い付き合いが始まり、特にエコノミストからみた租税理論には啓発されました。彼ほど学究肌の官僚はめずらしく、官僚にするのが惜しい逸材でした。村井がこれまでに出会った大蔵官僚、財務官僚のなかでこれほどの逸材をしりません。佐藤の残したIMFリポートは、今でも珠玉の論文として評価に値すると思います。大蔵省を訪れるドイツ人専門家の通訳を一手に引き受けることができたのも佐藤のお蔭であり、大変有益でした。

村井 正

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